#020 ブランド品とデッドコピーの違いとは? そこでしか手に入らないと思える〝本物〟への信頼。

#020 ブランド品とデッドコピーの違いとは? そこでしか手に入らないと思える〝本物〟への信頼。

見た目も素材も同じなのに、どうしてデッドコピー(模造品)は〝本物〟になれないのか?

2022/5/1

こんにちは、文筆家/ライターの淺羽一( @KotobaAsobiComです。
今回は様々な業界で存在している『ブランド』の価値や、それが成立する理由などについて考えたいと思います。
現在、例えばアパレルやジュエリーの分野を見ても、世の中には数多くのブランドやセレクトショップ、さらには有名ブランドの偽物やデッドコピー(模造品)などを取り扱う店が混在しています。また、同じブランドであっても価格帯が異なるアイテムやシリーズもあるでしょう。
人々の間で価値観の自由化が進み、ニーズの多様化がうたわれる現代において、必ずしも高級なアイテムばかりが価値を持つとは限らないからこそ、『ブランド』にどのような意味があるかと考えることで自分の選択に自信を持てるかも知れません。


【そのブランドでしか得られない〝特別な価値〟】

世の中には色々なブランドがあります。エルメスやフェラガモ、シャネルといったアパレル業界やジュエリー業界で愛されるハイブランドはもちろん、ロレックスやセイコー、ブレゲのように時計業界で人気のブランドも少なくありません。
加えて、各ブランドには高価格帯のメインシリーズとして『ファーストライン』があると同時に、よりリーズナブルな価格帯でブランドイメージを楽しめる『セカンドライン』もあり、必ずしも〝高級品=ブランドの正規品〟とは限らないことも重要です。
いずれにせよ、それぞれのブランドでは、時代ごとに独自の個性や伝統、理念などを象徴するアイテムが展開されており、ブランドへの信頼や期待は希少性と共にアイテムの価値に反映されながらファンに愛されています。

〈単に誰かの〝感性〟を重視するならセレクトショップで構わない〉

ブランドのファンの中には、そのブランドを愛する理由として「デザイナーの感性を象徴するアイテムがあるから」と説明する人もいます。実際、それぞれのブランドは専属のデザイナーやマエストロを抱えていて、自社のコンセプトに合ったアイテムの企画・製造、販売を行っていることが特徴です。また、ブランドのコンセプトとして「デザイナーやアートディレクターの感性によって厳選されたオリジナルアイテムを提供する」といったテーマを掲げることもあります。
しかし、ただ単に誰かの〝感性を象徴するアイテム〟を求めるならば、常に特定のブランドで商品を買う必要はないでしょう。
例えば、世の中にはたくさんの『セレクトショップ』が存在します。
セレクトショップは、それぞれの店や企業に所属するバイヤー(仕入れ担当者)が様々なブランドやメーカーから〝選択=セレクト(select)〟してきたアイテムを販売する専門店です。
セレクトショップはブランドのように自社製品だけを並べることをしませんが、セレクトショップにはセレクトショップのコンセプトや基準があり、さらにはオーナーや担当バイヤーの〝感性〟によって価値のあるアイテムが厳選されています。特定のデザイナーやアーティストとコラボして、彼らにセレクトしてもらったアイテムを販売する企画も行っています。
言い換えれば、人気のデザイナーや有名なクリエイターが〝お気に入りのアイテム〟を自分の感性で選んだとして、その服や靴や時計や――選ばれた品はつまり彼ら/彼女らの〝感性を象徴するアイテム〟です。セレクトショップに限らずとも、テレビ番組やファッション雑誌の企画において、有名デザイナーや人気のスタイリストがアパレルショップや量販店からファッションアイテムを〝セレクト〟し、「今季の流行はこの色の組み合わせで――」などと一般向けに解説することも珍しくありません。
特定の誰かの〝感性〟を楽しむだけであれば、その本人がデザインしたりプロデュースしたりしてこの世に生み出したアイテムを選ばなくても〝代替品〟で再現可能なのです。

〈そのブランドでしか手に入れられない〝特別さ〟という価値〉

では、ブランドで正規品を購入することと、セレクトショップや量販店で〝代替品〟を購入することの決定的な違いは何なのでしょう。
ブランドの正規品と代替品との違いは〝そこでしか手に入らないものかどうか〟という点です。
仮に、どこかのブランドが倒産し、そこに所属していたデザイナーや職人が倒産後に〝同じ製品〟を作ったとして、「品物としては〝同等品〟だしブランドの正規品と認めよう」と素直に言う人はどれだけいるでしょうか。
見た目が同じなら、製法や材質が同じなら、いっそ〝ロゴ〟が同じなら、両者に違いなどないと考える人も確かにいます。ですが本当の意味で〝ブランドの特別な価値〟を同等品や代替品に感じる人は少ないのではないでしょうか。
見た目が同じで、製法や材質が同じで、いっそロゴが同じであっても、ブランドという〝看板=信頼〟を背負っていなければ、それはやはり同等品であり代替品であり、あるいは〝偽物〟でしかないのです。

〈デッドコピーがどうして罪深いのか?〉

一般的に『デッドコピー』とは無許可で作られる模倣品や模造品を指します。単に特定のアイテムに雰囲気やイメージを似せているというだけでなく、それぞれのアイテムを〝不正に真似して生み出される製品〟です。著作権や意匠権、商標権などを侵害してロゴをそのままコピーしたいわゆる〝海賊版〟でなくとも、通常考えられる範囲を超えて一部または全部をオリジナルに似せて作られた商品であればデッドコピーと考えられます。
デッドコピーがどうして罪深いのか。
それは『ブランドでしか得られない価値』を損ない、『そのブランドに対する人々の信頼』を傷つけるからです。
例えば100万円で販売されているブランドの指輪があるとしましょう。そしてそれを購入し、誰かへプレゼントする時、そこには単に〝100万円の指輪〟という価値だけでなく、その金額分のお金を得るために費やした労力や時間、その指輪を相手へ贈ろうと決意した想いなどが込められています。
ブランドの真価とは、そのような人々の背景に見合った〝特別さ〟や〝物語〟を提供することであり、その価値に嘘偽りがないという〝信頼〟を担保することにあります。これらを一言で表すために『(ブランドの)神話』と呼ばれることもあるでしょう。
対してデッドコピーを販売するという行為は、世の人々の意識へ「もしかしたら〝偽物〟かも知れない」という疑念を植え付ける行為であり、ブランドへの〝信頼〟の純粋さを濁らせる行為でもあります。
もちろん、一部の市場にデッドコピーが出回ったところで、ブランド品の全てが偽物として扱われることはありません。しかし『樽いっぱいのワインへスプーン1杯の汚水が注がれれば、それは樽いっぱいの〝汚水〟となる』といった言葉のように、市場へデッドコピー(偽物)が存在するという時点で、当人が意識するしないにかかわらず「もしかしたらこの指輪は〝偽物〟かも知れない」というイメージを植え付けられます。
それはあたかも丁寧に祈りを込めて作られた純白のウェディングドレスへ、悪意を持って1点の黒いシミをつけるような行為です。そして一度でもつけられたシミや汚れは、たとえ綺麗に洗って元の通りの白さを取り戻したとしても、マイナスイメージとして心のどこかに残ります。
大切な誰かのために、またはがんばった自分へのご褒美として、己の人生の一部を費やしてお金やチャンスを作り、それに相応しい象徴として選んで想いを託したブランドのアイテムに――その純粋な気持ちに、どうしてそのようなマイナスイメージを加えられなければならないのでしょうか。
残念ながら、安易にデッドコピーを作って販売する人間の多くは、そこまで深く考えていないと思われます。むしろ、そこまで明確な悪意や故意性を抱いてデッドコピーを作る人間は少数派でしょう。そしてだからこそ後を絶ちません。
しかし当事者の考えがどうであれデッドコピーを販売するということは、オリジナルのアイテムを生み出したデザイナーやアーティスト、ブランドの想いを踏みにじると同時に、さらにはそのアイテムへ想いを込める購入者や、購入者にとって大切な誰かへの気持ちまでまとめて汚す行為そのものです。

〈そのアイテムを愛するからこそデッドコピーを買わないという決意を〉

残念ながらデッドコピーはなくなりません。人の悪意が、あるいは安易で軽率な欲望が尽きない限り、ブランドのオリジナルアイテムを模倣/模造してデッドコピーを製作し、販売する業者は後を絶たないでしょう。
また、オリジナルアイテムを欲しいのにお金が足りなくて、〝仕方なく〟デッドコピーを購入する消費者もいるでしょう。
ですが、デッドコピーはその存在自体がオリジナルアイテムの価値を損ない、ひいてはそれを欲しいと考える理由や動機を濁らせる原因です。
それがデッドコピーであると知らずに〝善意の第三者〟として購入してしまうこともあるでしょうが、少なくともそれがデッドコピーや不正な品であるとわずかでも疑われるのであれば、購入を我慢し、どうして自分がそれを必要としているのか、己の心や理由について改めて意識を向けることも大切です。

匿名で質問やリクエストを送る

※登録・ログインなしで利用できます

メールアドレスだけでかんたん登録

  • 新着記事を受け取り見逃さない
  • 記事内容をそのままメールで読める
  • メール登録すると会員向け記事の閲覧も可能
あなたも Medy でニュースレターを投稿してみませんか?あなたも Medy でニュースレターを投稿してみませんか?