#023 あの感動の名作が〝ホラー〟になる!? 著作権が消滅する『パブリックドメイン』とは?

#023 あの感動の名作が〝ホラー〟になる!? 著作権が消滅する『パブリックドメイン』とは?

著作権が失われ、誰もが自由に作品を扱えるようになる『パブリックドメイン』の仕組み。

2022/5/30

こんにちは、文筆家/ライターの淺羽一( @KotobaAsobiComです。
先日、Twitterを眺めていたら興味深い話題がタイムライン(TL)へ流れてきました。
ツイートによれば、児童小説として世界中に知られた名作『クマのプーさん(原題:Winnie-the-Pooh)』の著作権が〝パブリックドメイン〟となり、さらに〝エログロ満載のスプラッターホラー作品として映画化(原題:Winnie the Pooh: Blood and Honey)〟されるとか!?


さらに偶然なのか狙ったタイミングなのか、往年の名作『アルプスの少女ハイジ』に関しても、〝恋人である羊飼いのペーターを独裁者に殺されたハイジが、復讐の鬼と化して――〟というアクション・ホラー映画『マッド・ハイジ(原題:MAD HEIDI)』の新作情報が流れてきて……。


ということで今回は、愛らしい姿でハチミツをなめたり、白い子ヤギとアルプスの平原を駆け回ったりするクマや少女の姿を思い浮かべつつ、『著作権』と『パブリックドメイン』について考えていきましょう。


【パブリックドメインとは著作権が消滅した状態】

〈著作権とは作品(著作物)を保護するための権利〉

著作権とは知的財産権の1つであり、例えば漫画や小説、音楽、絵画、映像作品、写真、ダンスの振り付け――などなど、〝自分の感情や思想を創作的に表現して制作した作品〟の保護に関して、制作者(著作者)に与えられる権利です。
著作権は、著作者がプロでもアマチュアでも、商品化されている作品でも個人が趣味で作っているだけの作品でも関係なく、〝著作物〟としての要件を満たしている作品であれば等しく認められることが重要です。
また、著作権は〝作品(著作物)〟について与えられる権利であり、『著作物を保護すること』が目的とされています。そのため、作品がどのように扱われるか著作者が決められる権利ともいえるでしょう。具体的には、勝手に作品の内容を改変されたり、勝手に作品の内容を模倣されたり、勝手に作品のコピーを販売されたりしないといったことが著作権で定められています。
なお、著作権と似ている権利が『著作者人格権』です。著作者人格権は作品(著作物)でなく〝著作者〟に関して認められる権利であり、『著作者の保護』が目的とされています。例えば誰かの幸せを願って創作された漫画の一部が切り取られ、いかにも誰かの不幸を楽しむような宣伝や活動に使われることがあれば、それは著作者の想いを踏みにじっているということで、著作権だけでなく著作者人格権についても侵害しているとなります。

『クマのプーさん』と『くまのプーさん』の違い?

『クマのプーさん』は元々、1926年に発売された児童小説であり、作者はA・A・ミルンというイギリスの作家です。しかし、おそらく現代の多くの人にとって、同作は〝赤いシャツを着た黄色いくまのプーさんが活躍するアニメ〟というイメージが強いのではないでしょうか?
ディズニーアニメとして人気の『くまのプーさん』シリーズは、A・A・ミルンの『クマのプーさん』を原作として制作されたアニメ作品であり、現代風にいえば公式に認められた〝二次創作アニメ〟といえます。
さて、冒頭でも語ったように、今回は『クマのプーさん』の著作権が消滅――パブリックドメインとなったことで、プーさんがハチミツでなく真っ赤な血と肉を求めて暴れ回る(らしい)というホラー映画(パロディ)が制作されているそうです。
そして同時に、それは〝あくまでもA・A・ミルンの『クマのプーさん』のパロディ〟であって、〝ディズニーアニメ『くまのプーさん』のパロディ〟ではない、ということがポイントです。

〈著作権は永遠に続く権利ではない〉

日本の場合、著作権が有効となる期間(著作権保護期間)は、原則として『著作者の死後70年間』と法律によって定められています。
例えば、ある作家が20歳の時に発表した作品Aがあり、さらに50歳の時に発表した作品Bがあるとします。そして作家が作品Bを発表した直後、50歳で亡くなった場合、作品Aに関する著作権保護期間は発表から作家が死ぬまでの〝30年間+70年間の合計100年間〟となり、作品Bに関する著作権保護期間は〝死んでから70年間〟となるといった具合です。
なお、著作権保護期間は国や法律によって異なり、日本でも2018年12月30日に改正法が施行されるまでは、〝原則として、著作者の死後50年間〟と定められていました。言い換えれば、そもそも著作権に関する法律や規定がない国であれば、著作権が認められず、違法コピーも〝違法でない〟ということになるのですが……この辺りの話題はまた改めて解説することにしましょう。
重要なポイントは、著作者の死後、一定期間が過ぎると著作権は消滅し、その著作者の作品(著作物)については〝誰にも著作権がない状態〟になるということです。
そしてこの状態、またはそうなった作品を『パブリックドメイン』と呼びます。なお、著作者が死亡していなくても、本人が『著作権を放棄します』と公式に宣言すれば同様にパブリックドメインとなります。
著作者人格権は著作者自身に関する権利であり、著作者の死亡と同時に消滅することもポイントです。ただし、たとえ著作者が死亡していて著作者人格権が消滅していたとしても、みだりに著作者の人格や思想を損なうような行為が許されるかどうかは別の問題です。

〈パブリックドメインとなった作品は原則として自由に使える〉

パブリックドメインをイメージする際、分かりやすい例は古代の彫刻や中世の絵画といった芸術品・美術品かも知れません。葛飾北斎の浮世絵の画像は様々な場所で宣伝やアートに使用されていますし、ダ・ヴィンチの名画『モナ・リザ』もまた色々な場面でパロディ化されています。
ある意味において、パブリックドメインになるということは、〝個人の作品〟から〝公共の作品〟に転化されたといえるのかも知れません。

〈二次創作にも著作権は存在する〉

さて、一方で注意すべき点もあります。それは例えば前述した『クマのプーさん(原作)』と『くまのプーさん(ディズニーアニメ)』が同時に存在しているような場合です。
アニメ『くまのプーさん』はA・A・ミルンの原作小説をモチーフとした〝二次創作アニメ〟といえますが、同時にディズニーアニメとして創造的に制作された〝著作物〟でもあります。つまり、仮に『クマのプーさん』がパブリックドメインになっても、ディズニーアニメとしての『くまのプーさん』に関する著作権をディズニーが有している限り、第三者が無断で『くまのプーさん』を改変したりコピーしたりすることはできません。
これは『マッド・ハイジ』と『アルプスの少女ハイジ』のケースでも同様です。スイス人作家であるヨハンナ・シュピリ(1827年 - 1901年)が書いた小説『アルプスの少女ハイジ(原題:Heidis Lehr- und Wanderjahre)はすでにパブリックドメインとなっていますが、それを原作として1974年にアニメ化された『アルプスの少女ハイジ』についてはパブリックドメインになっていません。
そのため、アクション・ホラー映画『マッド・ハイジ』において、羊飼いのペーターを殺されて復讐の鬼と化したハイジが独裁者を殺しまくる、というパロディ(二次創作映画)が認められたとしても、アニメ『アルプスの少女ハイジ』のキャラが血みどろの復讐劇を繰り広げるといった二次創作アニメは――少なくとも著作権者が認めない限り――法的に許されることはありません。
つまり、仮に原作がパブリックドメインとなっていても、それを題材とした二次創作の作品がパブリックドメインになっていない段階では、原則として
  • 原作(パブリックドメイン)を題材とした二次創作/パロディはOK(例外あり)
  • 原作を題材とした二次創作をモチーフにした〝パロディ(三次創作)〟はNG
となるのです。

〈パブリックドメインだからといって〝何でもあり〟になるのか?〉

あくまでも『著作権』という〝法律の枠組み〟として考えれば、パブリックドメインとは見方によって〝誰でも自由にコピーしたり改変したりできる状態〟といえるかも知れません。また、パブリックドメインがあるからこそ、『思想信条の自由』や『表現の自由』と合わさることで生まれる新しい芸術や作品も多いでしょう。
僕自身、国内外の昔話や童話をモチーフにした【大人になれない子供達と、子供に戻れない大人達へと贈る寓話集】というブラック系の短編シリーズを書いています。


一方で、やはりそれぞれの作品に対して色々な想いを抱き、またその気持ちをとても大切にしている人もいます。それもまた『内心の自由』であり『思想信条の自由』です。
著作権や著作者人格権は、ある意味で「著作者の自由意思を最優先する」という〝自由の優先順位を決める権利〟といえるでしょう。言い換えれば、パブリックドメインとなることで社会的に定められる自由の優先順位は失われ、誰もが己の自由を第一に考えられるということです。
そしてだからこそ、それぞれの人にとっての〝自由〟が、別の人の〝自由〟とぶつかってしまうリスクも増大します。自由の枠を広げて、誰もが自分の自由を優先できる――〝自由の多様性〟を認めれば、時には自分の自由と相容れなかったり、不快な思いをさせられる自由を目の当たりにしたりするケースも必然的に発生するでしょう。
とはいえ、ぶつかってばかりいては、せっかくの作品も〝争いの種〟にしかなりません。本来であれば〝自由に作品を楽しめる〟という前向きな状態であるはずなのに、実態として〝気に入らないものばかり増えていく〟なんて結果になっては本末転倒です。

〈創作物を扱うからこそ想像力を大切にしたい〉

現実として、全員が互いの自由を上手にすり合わせることは簡単でありません。
多種多様な意見や感性、思想信条がある中で、当事者がそれぞれに互いの自由意思を尊重し、対話によって相互理解に努めれば、話し合いだけで解決できる場合もあるでしょう。しかしそれはあくまでも双方向のコミュニケーションを、各自があきらめることなく続けた場合です。あるいは、どちらかが〝相互理解をあきらめて自由を放棄した〟結果です。後者に関しては〝解決〟でなく〝決壊〟かも知れませんが。
それでは、著作権やパブリックドメイン、さらには作品に対する著作者やファンなどの思いや自由を最大限に尊重しながら、それぞれが新しい創作活動や表現によって楽しみ方を広げていくために何が必要なのか。
少なくとも僕はそのカギを『想像力』だと考えます。それはもちろん〝他者への想像力〟も含みます。
他者への想像力を大事にするということ、それは単に他人を優先して自分をあきらめるという話ではありません。相手の言い分ばかりを受け入れて自分の自由意思を曲げるという話でもありません。
他者は他者として自由意思を認めた上で、自分自身の譲れない自由や表現といった創作活動を追求する、そしてそれを実現するためにどうすれば良いか〝想像〟しながら〝創造〟する。
それを忘れずに、実践していくことが、もしかすると感性の本質であり〝創作的活動〟の根幹なのかも知れませんね。
――ということで、今回は『著作権』『パブリックドメイン』のお話でした。
願わくば、新しい自由や想像にもとづいた『クマのプーさん』や『アルプスの少女ハイジ』が、僕にとってもまた新しい楽しみを味わわせてくれますように。

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