皆さんは【トロッコ問題】をご存知でしょうか。
トロッコ問題とは倫理学や哲学においてよく使われるテーマであり、また米国ハーバード大学の教授として政治哲学を専門とする、マイケル・サンデル氏の『正義』に関する授業などでも注目を集めたお話です。
倫理学や哲学と聞くと難しく考えて身構える人もいるでしょうが、トロッコ問題そのものはシンプルです。要するに、
『AとBのどちらか一方しか選べない状況で、一体どちらを選ぶことが正しいのか?』
そのような疑問を追求していくための〝考え方〟がトロッコ問題の本質といえるでしょう。
そこで今回は、トロッコ問題を題材として、『真実の愛』というものの正体について少しだけ考えてみたいと思います。
【愛のトロッコ問題? 犠牲にすべきは誰が正解か】
〈〝正義〟を考えるトロッコ問題とは?〉
本題へ入る前に、改めて『トロッコ問題』についておさらいしておきましょう。
例えば、次のような場面があります。
〝線路の上を無人のトロッコが暴走している。ブレーキは壊れており止めることはできない〟
〝トロッコが走る線路の先には、危険な事態に気づいていない5人の作業員が線路上で作業を続けている。このままではトロッコが5人に衝突し、全員が亡くなってしまうだろう〟
〝しかし5人へぶつかる少し前、線路の分岐があり、線路を切り替えてトロッコの走るコースを変えることができる。そして切り替えた先の線路上には、1人の作業員がいる〟
〝このままでは5人の作業員の命が失われる。一方、線路を切り替えれば犠牲は1人の作業員だけで済む〟
そして、上記の前提を踏まえた上で、トロッコ問題は人々へこう問いかけるのです。
『さて、あなたはトロッコのコースを変えますか? それともそのまま走らせますか?』
――これが一般的に考えられているトロッコ問題の例題です。実際はさらに様々なパターンがあり、しかしいずれの場合でもそれぞれの〝追い詰められた状況〟において、どんな選択をすることが〝正しいのか〟を考えます。
〈トロッコ問題に唯一絶対の〝正解〟はない〉
トロッコ問題は、それぞれの回答者が〝自分にとっての正しい答え〟を考えますが、トロッコ問題そのものに〝模範解答〟や〝正解〟はありません。
むしろ『唯一の正解がない問題』について、それでも自分であればどうするのか、ということを考え続ける行為こそがトロッコ問題の本質であり、最大の意義ともいえます。
もちろん、途中で考えが変わっても構いませんし、自分の答えに納得できなくて違う答えを探しても構いません。大切なのは〝考えを止めないこと〟です。
今現在の自分の回答に対して自分自身で疑問を抱き、それが本当に正しいのかと考え直すことと、自分の回答に自信を持って「これが正しいに違いない!」と胸を張って語ることは、互いに矛盾せず両立できます。
自信を持って導いた答えを大切にしながら、同時に
「でも、もしも正しくなかったら? 他にもっとより良い考え方があるのでは?」
と〝さらなる自問自答〟を繰り返す。
そうすることで、人はやがてどんな状況や場面においても〝自分で考える余裕〟を持てるようになります。
〈愛のトロッコ問題:犠牲にすべきは自分か相手か〉
さて、トロッコ問題の基本を把握したところで、いよいよ本題です。
それでは、少しイメージを広げてみましょう。
〝自分には心から大切に想っている、大好きな相手がいる〟
〝その人と一緒に過ごせる時間は何よりの幸せで喜びだ〟
例えば、そんな風に思える人がいたとします。恋人でも配偶者でも、友人でも構いません。兄弟姉妹でも良いでしょう。重要なポイントは、自分にとって本当に大切な相手であるという事実です。
そしてその上で、こんな〝トロッコ問題〟を考えましょう。
- 自分にとってたまらなく幸せな時間を過ごせる代わりに、とても好きな人が泣く。
- 自分にとってたまらなく幸せな時間を失う代わりに、とても好きな人が笑う。
さて、〝あなたにとっての正解〟は『1』と『2』のどちらでしょう?
1の選択では、あなたは幸せな時間を過ごせるようです。しかし、その代わりに、あなたにとって誰よりも大切な人が泣かなければならない状態になるようです。
2の選択では、あなたは幸せな時間を失ってしまいます。ですが、その代わりに、あなたにとって誰よりも大切な人の笑顔は守られるようです。
自分が幸せでなければ誰かを幸せにすることなんてできない。そして相手が泣いているなら泣き止むまでずっとそばにいれば良い。だからこそ俺は『1』を選ぶ。――そういう人もいるでしょう。
大切な人にはいつでも笑っていてもらいたい。その幸せを守れるのなら、自分が苦しさや寂しさを背負うこともいとわない。だからこそ私は『2』を選ぶ。――そういう人もいるでしょう。
では、〝あなた〟の答えはいかがですか?
〈大切な人を守れるならば、自分が辛い思いをしても……?〉
この記事を書くに当たって、先にTwitterで同じ質問のアンケートを実施しました。
そして今現在、最終的な結果こそ出ていませんが、この記事を書いている時点で100票を超える〝自由意思〟が示され、その途中経過では
- 1を選んだ人:約30%
- 2を選んだ人:約70%
という数字が示されています。つまり、少なくとも現時点ではおよそ7割の人が
〝自分を犠牲にしてでも、大切な人の笑顔と幸せを守りたい〟
と考えているようです。
もちろん、このようなアンケートにはそもそも〝中立性に関する疑問〟があります。例えば僕の友人はこのアンケートを見て、次のように言いました。
「そもそも〝1〟を選ぶ人――利己的な人は、こんなアンケートにいちいち回答しない」
だから〝現実の社会〟ではもっと自分を優先する人間の割合も大きいはずだ――と。
なるほど、一理あるかも知れません。この選択肢を単に『利己的/利他的』という言葉で分類してしまうことは、必ずしも正確でないでしょうが、それでもそういった面はあるでしょう。
あるいは、実際に追い詰められた状況に至るまで、自分が本当にどのような行動を取るのか分からない人も多いはずです。だからこのような質問や結果は、ただの〝理想〟の反映でしかないのかも知れません。
しかしすでに述べたように〝重要なことは結果でなく考えること〟です。
真剣に考えて、悩んで、迷った末に出した〝今の答え〟であるならば、僕はそれが『1』であれ『2』であれ等しく、その人にとって意味や意義があるものだと思います。
〈守るという自由、一方的に守られるしかないという不自由〉
アメリカの作家、故レイモンド・チャンドラー(1888-1959)のハードボイルド小説に、〝フィリップ・マーロウ〟という探偵が登場します。そしてチャンドラーが亡くなる前年に刊行された『Playback(1958)』の劇中において、フィリップ・マーロウはヒロインに対してこんな言葉を語りました。
〝If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive.〟
※引用元:〝Playback(1958)〟, Raymond Thornton Chandler
直訳すれば、
『強くなければ生きられない。優しくなければ生きるに値しない』
――このようなニュアンスでしょうか。
仮に、フィリップ・マーロウの語る『優しさ』が大切な誰かを守ろうとする気持ちで、『強さ』がそのために必要な行動を自分で選べることだとすれば、なるほど先ほどの〝トロッコ問題〟に照らし合わすと、彼の答えは『2:自分が幸せを失っても大切な人の笑顔を守る』になるかも知れません。
ですが、我々は同時にもう1つ考えるべき点があるでしょう。
それは、
『一方的に守られた相手の気持ち』
です。
例えば、自分が相手を心から大切に想うのと同様に、〝相手も自分を大切に想ってくれている〟という関係があれば?
もしも相手――僕にとって誰よりも大切で幸せを守りたいと想う人が、同時に僕のことも大切に守りたいと考えていたとして、後になってから〝自分が僕の犠牲によって一方的に守られていた〟という事実を知ったとすれば?
それはきっと、僕にとってとても喜ばしく幸せなことで、僕の最大の身勝手や傲慢を象徴することになるかも知れません。
〝相手のための自己犠牲といういかにも『利他的』な選択をしたはずが、結果として何よりも自分勝手で『利己的』な行為として相手の心を傷つける〟
そんな可能性もゼロではないと理解しておくこともまた、人を愛するということへの責任かも知れません。もしくは、それはただの理想や期待や願望に過ぎないのかも知れませんが。
〈大切だと伝えられる相手が、今そこにいるという幸運〉
個人的な考えを語れば、トロッコ問題のような状況が目の前に訪れた時、『1』でも『2』でもあるいは他のどんな答えであれ、自分で勝手に選んで決めてしまうのでなく、相手と話し合い、言葉を交わし、想いを伝え合って〝2人でどうすべきか〟を考えることが大切だと思います。
ですが、そのためにはそもそも〝お互いに素直な言葉を伝え合える関係〟が不可欠です。もしくはそのための時間や、それを許す状況や、何よりも〝互いの言葉を受け入れるための信頼〟が必要です。
いっそもっと単純に、言葉を伝えて届く場所に相手がいなければ話になりません。
感謝の「ありがとう」であれ、謝罪の「ごめんなさい」であれ、心からの「大好きだ」や「愛している」であれ、〝伝えたい想いを伝えられる場所に相手がいる〟という事実は、決して〝当たり前〟ではありません。
気恥ずかしさで躊躇した「ありがとう」を伝えたくても、二度と相手が目の前に現れないかも知れません。自分勝手な行動で傷つけた相手に「ごめんなさい」と謝りたくても、相手はそれきり自分の元を去ってしまうことだってあります。
相手を大好きだと、本心から愛していると気づいた時にはもう、その人へ想いを伝えられるチャンスが失われているなんて、悲劇的どころかむしろ古今東西の〝あるある〟です。
だからこそ、もしも今、あなたにそのような幸運な状況がもたらされているのなら、それを失ってしまう前に相手と言葉で語り合うことをおすすめします。それは例えば〝トロッコ問題〟の選択肢についてでも良いですし、今夜の食事のメニューについてでも良いですし、いつか2人で行きたい場所の候補でも良いでしょう。
何だって構いません。ただ、自分の想いを相手に伝えて、相手の想いを受け止めて、互いの想いを共有する。それを繰り返した後で、改めて〝トロッコ問題〟の選択肢を眺めたら――
相手を守っているつもりが、本当は自分の方こそ守られていただなんて、それもまた恋愛や人間関係における〝あるある〟なんでしょうね。